我がカミングアウトの記

このウェブサイトについて

20年の間に断片的に撮りためて来たものをご覧いただくことにしました。
なにぶんウェブの知識が貧弱なので、凝ったサイトが構築出来ません。どうかその点をご容赦の程をお願いします。

私のこだわり

みなさんはどのようなこだわりがあるでしょうか。私は「こうでなくちゃ」とか「こうでなければ認めない」といった強い意志表示はありません。「どちらかというと…」という感じでしょうか。ある年齢帯の女性の、象徴的なアイテムだから好きになったわけではなく、それを着用した女性の姿が良かったのです。このサイトに収められている画像から、そのことについてご理解いただけると思います。
できればちゃんと穿かれていた方がいいですし、「だぶだぶ」より「ぴちぴち」のほうが好きです。あとは似合っていれば、それでいいです。

ことの始まり
〜1

小学校の頃は学校指定は無く、男女とも市販の白い上下の体操着でした。
中学生になって、校庭を走る女子生徒のその体操服姿に衝撃を受けたことが、すべての始まりでした。(私の場合、みなさんおなじみの濃紺ではなく臙脂色でした。)
しかし、その姿は普段の学校生活では極めて当然のものだったように記憶しています。上の学年になると見かけなくなりましたが、そのままの姿で部活から帰る生徒もありましたし、夏場など部屋着代わりにするなど、友人宅で友人の妹が家の中を歩き回る姿を見たことがあります。
もちろん恥ずかしいと思っていた女子生徒もいたでしょうが、世間的に「女子の体操着はこれである。」といったものになんら揺らぎはありませんでした。
こういった姿を写真に収めたいという欲求は高まっていましたが、その当時の私には(一眼レフ)カメラも望遠レンズも高嶺の花だったのです。

ことの始まり
〜2

ちょうど同じ頃に馬場憲治さんという方が「アクション・カメラ術」という本を出され、「アクションカメラ」という雑誌も出版されました。そしてサン出版の「セクシーアクション」(通称"SA")が創刊されました。この雑誌については、語り始めると自分自身収拾がつかなくなってしまいますので、簡単に触れるだけにしたいと思います。
「女性の裸の(少)ないエロ雑誌など売れる訳がない。」といわれた業界の常識を覆し、同誌から派生した「投稿写真」と共に投稿写真ブームを生むに至るわけです。「SA」の方には何度か採用をして戴き、掲載されたこと(
【収蔵庫1-2】)がありますが、我が家は郵便事情が悪く、家族のほかのものが勝手に届いた郵便物を開けてしまうことがあったので、それに懲りて応募するのをやめました。
その当時「SA」は未現像のフィルムでも応募が出来ました。そうすると現像したフィルムにプリントをして返送してくれるのです。(その後プリントはベタ焼きになりました。)その程良い重さの封筒に出版社名が入っていれば、家族が「懸賞にでも当たったか」と思って開封してしまうのでしょう。写真そのものはありませんでしたが、謝礼の小為替と「増刊号の発行予定があるので、もうしばらく写真を預かりたい。」という手紙を開けられたことがあります。

ことの始まり
〜3

話は前後しますが【収蔵庫1-1】の写真は私の手元に残るもっとも古いその手の写真です。当時、自分のカメラをまだ持っていなかったため、これは友人のカメラによるもので、撮影意図も「行事の思い出」的なものなのでした。
どんなカメラを買おうか友達同士盛り上がっていたのもこの頃でした。浜辺の女性のスカートが風でめくれあがる一瞬を、パワーワインダー付きのカメラがとらえるという「アクションカメラ」風CMを、キヤノンがやっていたのを覚えています。当時の一眼レフカメラは自動露出(AE)機能で、キヤノンがシャッタースピード優先、ニコンが絞り優先の機種を出していましたが、私はシャッタースピード優先派のキヤノンに気持ちが傾いていました。
そして高校1年の終わりに、ついに自分のカメラを手にすることが出来ました。
学校の体育大会で調子に乗りすぎて男の同級生から「あっ、アクションカメラだ」とからかわれましたが、「違うよ」というと、それ以上のつっこみはありませんでした。私の内なるフェティッシュのことを見透かしたのではなく、私がアクションカメラの真似事をしてるのではと思ってからかったのでしょう。しかしこのことが、のちの撮影に大きな影響を与えます。

撮影に対する考え方の変化

この写真(【収蔵庫1-3】)の撮影直後に「あっ、アクションカメラだ」とからかわれた時は、私も体育大会という行事に参加している、「生徒」という関係者でしたので撮影自体にあまり影響はありませんでした。しかし、ことそれが関係者でなくなったらという場合を考えさせられました。もし一般の観客だったらどの範囲までの撮影が許されるか。どういった撮影なら違和感なくその場にとけ込めるか。自分が、写真に収めたいと欲している景色は何か。
導き出された答えが『国立公園』でした。控えめな撮影と、撮った写真は個人的な趣味の範囲にとどめておく。女子生徒のあの体操服姿は「尾瀬の湿原」のごとく接しないと、やがてなくなってしまうと危惧しました。
ウェブサイトの名前の由来は、絶滅の危機にさらされている動植物のリストをまとめたレッドデータブックからきています。

ことの終わり
〜1

一部のマニア向けにすぎなかった投稿誌が次々創刊され一般化し、ビデオ(カメラ)が低価格化しビデオ撮影も珍しいものではなくなりました。ビジネスとして市場(マーケット)が成立し、拡大してゆきます。本心としてはマニアの密かな楽しみ程度でおさえてほしかったのですが、『国立公園』は保護されるべきという考えは、『国立公園』は観光資源であるという考え方にかなわなくなってしまいました。
そして各地で『国立公園』の入園規制が始まったため、被写体は規制のやや緩い方へ緩い方へと、シフトしていきました。
規制が始まったとはいえ、まだ消えることありませんでした。部外者として決して荒らしてはいけない。過激なものを求めてはいけない。普通に見せてくれるワンシーンを写真に切り取る。そうしていれば必ず残ると信じていました。

ことの終わり
〜2

しかし『パンドラの匣』は開けられてしまいました。封印されていた「恥ずかしい体操着」という一部女子生徒の思いを、不幸にも後押しする形をつくってしまいました。
近年における状況は言わずもがなです。多くのみなさんが色々な意見を述べられていますが、もう流れは止めらないでしょう。撮影者に対する周囲の目も昔のそれとは違ってきています。撮影してたときも、あくまで個人的な趣味の範囲で行動をしていました(特に近年は)。写真等が公表されることによりあらぬ警戒をされないように気をつけていましたが、そのことがなんら一連の流れをくい止める力になり得なかったことに、あきらめに近いものを感じました。
そして、日々の生活の中でささやかな楽しみを与えてもらったことに感謝して、体操服姿の撮影は数年前に封印しました。

カミングアウト

「手元に残った写真をどうしようか。」私の中でそんな言葉がよぎりました。
十数年ぶりに雑誌投稿も考えましたが、もうそういった雑誌もありませんので、ウェブサイトを開設して一緒に思いを馳せていただける方を求めようと思いました。
二十数年自分の心の中にしまっておいたものを、こういった形で発表するとは思いませんでした。この趣味はあくまでマイナーでアンダーグラウンドであり続けるべきものと信じていました。しかし、多様な情報を常に欲している今にあって、それは避けられないことかも知れません。
『パンドラの匣』の話では、開け放たれた匣の中に最後に残ったものは「希望」だったと思います。ほとぼりが冷め、また十数年後かにどこかの学校で、何事もなく穿かれている姿を目にすることを願っています。

長々と駄文におつきあいいただき、ありがとうございました。
お気づきになったでしょうか?このウェブサイトには一切、あの「言葉(単語)」がありません。私達の世代は語尾を伸ばします。もう少し若い世代の人たちは語尾を伸ばしません。古い世代の人は語尾とその一文字前の二カ所伸ばして発音します。(そして次の世代の子供達はその「言葉」を知らなくなるでしょう。)
その「言葉」を使えば検索もかけやすく、多くの人にこのサイトを見てもらうことが出来るでしょう。しかし、あえて使わなかったのは何故かは、読んでいただいた駄文の中からお汲みとりください。

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